歩いてきた、ところ。

JDになります

なんとなくの殺人

ある殺人鬼が言った。

「なんとなく殺しました。理由はありません。」

 

普段生活していると理由なく行動していることが多いような気がする。休みの日になぜ6時に起床したのか、それは起きてしまったからだったりなんとなくだったりする。二度寝という選択肢がありながらそれを取らずぼーっと一日を過ごすことだってあると思う。もちろんそれによって結果とてもよい休日になったとしても始まりは紛れもなくなんとなくなのだ。ご飯を食べるとき、なぜ先におかずから手をつけたのか。それもなんとなくであるときがある。なぜそれを行わなかったのか、なぜそうしたか、すべてに理由があるという人もいるがその理由は後付けであるような気がする。原因は後付けであり動機は先にあるものでそれがない場合もありうると思うのだ。

 

あいにくの雪であったが今日は春分の日だった。もうすぐ春になって虫が増える。

 

幼いころ、ありを大量につぶしてみたり巣を埋めてみたりした経験はないだろうか。わたしはありを殺すのが申し訳なくてやらなかったが赤い虫ならよく殺した記憶がある。そんな風に虫を殺したとき、わざわざ何か考えながら殺しただろか。もちろん嫌だったとか好奇心だったとかそういう理由があることを否定したいわけじゃない。ただ、命あるものをいともたやすく殺していたことを思い出してほしいのだ。

 

人間は法の下で平等である。世界の中でどの動物よりも人間が一番だと思っている。そんなひとが多いから、虫を殺しても罪には問われないし動物を殺したって2年以下の懲役にしかならない。もちろん殺人を正当化したいわけじゃない。けれど蚊を殺すように人間を殺してもおかしくはないんじゃないか。手間や知識やサイズや感触、まるで虫とは違うけれどあってもおかしくないんじゃないか。なんとなく、殺しました。きっとそんなこともあるのではないだろうか。

 

ここまで「感覚的な殺人」を語ってきたがわたしがそのようなことをするつもりはないし、それを肯定したいとも思わない。ただひとつの考えとしてあり得ると思っただけだ。わたしは殺人が怖いと思うしなければいいと思う。